ページの隙間から失礼します。てるまれです。
今回は第23回『このミステリーがすごい!』の大賞・文庫グランプリを受賞された、松下龍之介先生の『一次元の挿し木』をご紹介します。
あらすじ
『一次元の挿し木』はどんな人にオススメ?
- 愛する者の行方を探る、主人公の奮闘や葛藤を見たい人
- 生命の神秘と儚さに触れてみたい人
- 謎を追う側と抹消する側、そのスリリングな攻防が読みたい人
二百年前の人骨のDNAが
四年前に失踪した妹のものと一致!?ヒマラヤ山中で発掘された二百年前の人骨。大学院で遺伝学を学ぶ悠がDNA鑑定にかけると、四年前に失踪した妹のものと一致した。不可解な鑑定結果から担当教授の石見崎に相談しようとするも、石見崎は何者かに殺害される。古人骨を発掘した調査員も襲われ、研究室からは古人骨が盗まれた。悠は妹の生死と、古人骨のDNAの真相を突き止めるべく動き出し、予測もつかない大きな企みに巻き込まれていく——。
松下龍之介『一次元の挿し木』 宝島社
小説評価グラフ

下記グラフは、あくまで私個人の評価となります!


主な登場人物
- 七瀬 悠(ななせ はるか)
-
本作の主人公。大学院の博士課程で遺伝人類学を学ぶ青年。
4年前に失踪した義妹・紫陽を忘れることができず、その足取りを追い続けている。 - 七瀬 紫陽(ななせ しはる)
-
悠の義妹。美しい黒髪と透き通った肌が特徴的な美少女。
悠とは兄妹を超えた関係にあったが、4年前の豪雨の日に失踪してしまった。 - 七瀬 京一(ななせ きょういち)
-
紫陽の父親。大手製薬会社”日江製薬”の主幹研究員兼代表取締役。
厳格さを携えた壮年の男性で、再婚相手の連れ後である悠は義理の息子にあたる。 - 石見崎 明彦(いしみざき あきひこ)
-
悠の指導教官。大学で遺伝人類学の教鞭を振るっていた。
紫陽についての謎を追う中で、何者かの手によって殺害されてしまう。 - 石見崎 真理(いしみざき まり)
-
石見崎明彦の娘。介護中の石見崎に紹介されたため、悠とは面識がある。
重度の知的障がい者のため外出は困難なのだが、石見崎の死後に忽然と姿を消してしまった。 - 唯(ゆい)
-
石見崎明彦の姪。黒縁眼鏡をかけた小柄な女性。真理と仲が良かった。
石見崎の死後に姿を消した真理の行方を追うべく、悠に協力を申し出る。
言葉のカギ
「ループクンド湖」


物語のキーとなる「ループクンド湖」。
あらすじにもある通り、本作『一次元の挿し木』は、インドの湖・ループクンド湖から収集された人骨のDNAが失踪した義妹のものと一致してしまい——という謎を解明していく物語です。
この「ループクンド湖」。調べてみると、なんと実在する湖だったんですよ!
インドのヒマラヤ山中にあるループクンド湖は、作中で説明されたように、湖の底や周辺から数百体にも及ぶ人骨が発見された謎多き湖。別名「スケルトン・レイク(骸骨の湖)」とも呼ばれているらしく、架空の場所だと思い込んでいた私は「フィクションじゃないの!?」と心底驚きました。
また、人骨の鑑定を主人公・七瀬悠(ななせ はるか)に依頼した大学教授の石見崎明彦(いしみざき あきひこ)は、彼に意味深な言葉を投げかけていました。
「もしくは呪いか」
松下龍之介『一次元の挿し木』 宝島社
思わず口をついて出た。
「呪い?」
「いや、石見崎先生が言っていたんだ。『ループクンドの人骨に関わったら呪われる』って」
人骨が多数発見されただけでなく、関わったら呪われる。おそろしい話ですよね。
呪われるという部分は本作独自の設定かもしれないですが、神秘と骨の湖であるループクンド湖について、そんな伝承があっても何もおかしい話ではありませんよね。
一見、現実味がないように思える本作にグッと引き込まれるポイントは、読者の興味をそそる序盤のインパクトだけでなく、こうしたリアリティの部分にもあるのかな? と考えてしまいます。



現在は環境保護の観点から規制されているループクンド湖ですが、かつてはトレッキング先として人気の場所だったようです! 行きたいような……行きたくないような……。
「遺伝子」


2つ目のキーワードは「遺伝子」です。
本作の主人公である悠は、大学院の博士課程で遺伝人物学を学ぶ青年。
自身の師である石見崎から人骨のDNA鑑定を依頼された悠は、非常に優秀な能力を持つがゆえに、義妹である紫陽(しはる)の行方を追う道を隔てる謎を解決していくことになります。
そんな物語の中でも読者の心を穿つのは、生まれ持った「遺伝子」の宿命でしょう。
「A(アデニン)」、「T(チミン)」、「G(グアニン)」、「C(シトシン)」。4文字が織りなすたった一次元の情報によって、自身の感情や行動のみならず、未来すらも予測できてしまう。
紫陽の失踪、石見崎の死、真理の消失。悠と唯が暴かねばならないさまざまな謎と、作中の登場人物たちの行動には、常に「遺伝子」の存在を知覚させてくれる描写がありました。
人類を進歩させた科学と神秘——それは、逃れられない運命を見せつけてくる残酷なものでもある。そう考えずにはいられない表現の数々に、読者は翻弄されてしまうのです。
「笑顔」


さて、暗い雰囲気をまとう本作の中で意外にも印象的だったのは、「笑顔」に関する描写。
悠と兄妹以上の関係で結ばれていた紫陽や、悠と共に謎を追う女性・唯は、彼に笑顔を絶やさないよう声をかける場面が多かったんです。
「スマイルですよ、スマイル」
松下龍之介『一次元の挿し木』 宝島社
彼女はそう囁いてウインクをした。
僕は一呼吸置き、精一杯の笑顔を作って職員に向き直った。
「『笑顔は人生のマスターキー』」
松下龍之介『一次元の挿し木』 宝島社
博士課程一年目の悠は、学生として優秀なだけでなく、ミステリアスな雰囲気をまとう美青年なんです。
しかし、恩師である石見崎からも「心から笑っている姿を見たことがない」と思われてしまうほど、周囲と一定の距離を置いて生活していました。
紫陽を失ってからは、日々襲いくる絶望から逃れるため、抗うつ剤を常用してしまうほどに追い詰められていた悠。
「笑顔」とは無縁の生活を送っていた彼ですが、唯のアドバイスによって作った「笑顔」のおかげで乗り越えられる問題がいくつもありました。
特に、上記で引用させていただいた「笑顔は人生のマスターキー」という言葉は、間違いなく本作における希望的な描写のひとつでしょう。



悠は心の底から「笑顔」になることはできるのか。これも本作を読み進めていく上で意識してほしいポイントですね。
ひとことレビュー
何が本当で、何が虚像か分からなくなってくる。そんな不気味さをまとったミステリーでした。
失踪した紫陽を追う悠と同様に、まるで読者も迷宮を彷徨っているかのような感覚に陥ってしまうはず。
謎を追う側と抹消する側。ふたつの勢力が動いているため、とてもスリリングな読書体験ができると思います。
さらに、作中の学問的描写には説得力があるだけでなく、小難しい言葉ばかりが並んで疲れてくるといった感じが一切ありません。
しっかり骨太なミステリーでありながらSF的要素もふんだんに詰め込まれており、リズミカルな文体とスピーディな物語の展開によって、読者を飽きさせない工夫がいたるところから伝わってきました。
読後感についても、暗い作中の雰囲気から一転して晴れやかなもの。ミステリー初心者も楽しめる一冊ではないでしょうか?
著者の松下龍之介先生にとって、本作はデビュー作。いやはや、本当に凄まじい完成度。これからの活躍が期待できる作家さんですね。
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