ページの隙間から失礼します。てるまれです。
今回は、2024年に映画化された『六人の嘘つきな大学生』などで有名な作家さん、浅倉秋成先生の『まず良識をみじん切りにします』をご紹介します。
はじめに
『まず良識をみじん切りにします』はどんな人にオススメ?
- ”当たり前”を木っ端微塵に壊してほしい人
- 日常のストレスにうんざりしている人
- ぶっ飛んだエンタメ小説を読みたい人
嘘をついてはいけない。他人に迷惑をかけてはいけない。
挨拶を忘れてはいけない。待ち合わせや義務のある出席に遅刻してはいけない。
社会を生き抜く上で、「良識」ってとても大事なことですよね。
真っ当な人間ならば、破ってはいけないルールを無自覚に守っているものです。
本作『まず良識をみじん切りにします』は、「良識」や「常識」が暴走してしまった者たちの結末を描く物語を詰め込んだ短編集。
読者の「当たり前」を木っ端微塵に破壊してみせる作品の魅力を、少しでも伝えられたらと思います。
小説評価グラフ

下記グラフは、あくまで私個人の評価となります!


あらすじ
「とにかくヘンな小説をお願いします」そんな型破りな依頼に応えるべく、炒めて煮込んで未知の旨味を引き出した傑作集。憎き取引先への復讐を計画する「そうだ、デスゲームを作ろう」、集団心理を皮肉った「行列のできるクロワッサン」、第76回日本推理作家協会賞ノミネートの『ファーストが裏切った』など、日々の違和感を増殖、暴走させてたどり着いた前人未到の五編。これも浅倉秋成。いや、これこそが浅倉秋成。
浅倉秋成『まず良識をみじん切りにします』 光文社
解説レビュー
思わずドキリとさせられる掴み
本作の1ページ目(目次よりも前)には、「この本の美味しい召し上がり方」というものが記載されています。
『まず良識をみじん切りにします』という作品名からも伝わってくるように、本作は人間の持つ「良識」や「常識」に焦点を当てたブラックユーモア溢れる短編が5作品収録されているのです。
この冒頭1ページは掴みの部分として最高で、不安と怖いもの見たさを混ぜこぜにしたような感情が、読者の胸の中に渦巻いていくことでしょう。
現代社会の風刺を感じた『行列のできるクロワッサン』
さて、5作品のうち、私がもっとも印象に残ったのは『行列のできるクロワッサン』という作品です。
この短編は、とあるクロワッサン専門店が、ひとつの家族と崩壊と日本全土を巻き込む異常事態の引き金となっていく、という物語。
吉祥寺に住む専業主婦の絵美は、いつもの食パンを買いに出かけていると、行列のできている店を発見します。
クロワッサン専門店、ブーランジェリー「イゴル・エディ」。
数日前にオープンしたこの店舗に、あまり興味をそそられなかった絵美は、普段通りに食パンを購入し帰宅します。
ママ友たちとの集会で「イゴル・エディ」について触れると、周囲も絵美と同じ反応を示します。
パン屋などすでに吉祥寺には飽和しているのだから、どうせなら別のお店ができればよかったのに、と。
集会の帰り道、興味本位でママ友たちと「イゴル・エディ」を覗きにいくと——10人程度だった行列は減るどころか距離を延ばし、20人以上が並んでいました。
その瞬間、絵美の心にふと、小さな影が差し込みます。その描写が以下です。
前回もこのくらい並んでいたのと尋ねられ、いや、もう少し短かったはずと答えながら、絵美は胸に小さなざわめきが起こるのを感じていた。大事な忘れ物に気づきかけているような冷たい違和感、あるいはどこか気まずいような、意地を張って知ったかぶりをしてしまったときのような、名状しがたい、居心地の悪さ。
浅倉秋成『まず良識をみじん切りにします』 光文社
この描写を読んだとき、思わずドキッとしてしまったんですよね。
自分の価値観と周囲の反応。その2つに齟齬があったとき、「自分の感性ってちょっとズレているのかな?」と、ほんの少しの不安がよぎることがありませんか?
そういったちょっとした違和感を見事に言語化している表現だと、私は思いました!
日常の忙しさの中に、あの時に感じた冷たい違和感が押しやられてしまう絵美ですが、徐々に吉祥寺の街は「イゴル・エディ」に侵食されていきます。
吉祥寺の街——隣の駅——神奈川県へと行列は伸びていき、遂にはフルマラソンの距離である42.195kmを超えたと全国放送のテレビ番組で報道されるほどになったのです。
店の人気に懐疑的だったママ友たちも、「イゴル・エディ」のクロワッサンを食べている人がほとんどで、食べていない人は会話の輪に入ることができないほど、熱烈にクロワッサントークを繰り広げている始末。
「イゴル・エディ」で買い物をした際にもらうことができるエコバッグの存在も、本作の不気味さを掻き立てています。
黒い布地に白いシャープなフォントで店名がプリントされているこのエコバッグは、絶妙な上品さも相まって吉祥寺の街を中心に普及していきます。
次第に「使っていないのには理由があるのか」「まさか、あのクロワッサンを食べていないのか」と疑われてしまうほどに、エコバッグの所持は街に住む人にとって「持っていて当たり前」の存在になっていくのです。
右を見ても、左を見ても、同じエコバッグを肩にかけている人ばかり。想像してみると結構不気味な光景ですよね。
日本でもiPhoneが急激に普及してから、若年層を中心にAndroidスマホを使っている人は珍しい存在になってしまいましたよね?
「なんでAndroidスマホを使っているの?」「iPhoneを使わない理由があるの?」。こんな質問を受けた人はちょっぴり居心地の悪さを感じたことがあるのではないでしょうか? この作品内ではそれが「クロワッサン」なのです。
日本列島を巻き込むほどに流行っていく「イゴル・エディ」のクロワッサン。
初めて店を目にしたあの日に並んでクロワッサンを食べていれば——そんなことが頭によぎるようになった絵美は、学生時代に経験していた「ある体験」を思い出し、行動を起こします。
彼女の抱えた違和感は果たしてどこへ向かうのか、そして「イゴル・エディ」の行列は一体どこまで伸びていくのか——。
結末が気になった方には、ぜひ本作を読んで衝撃の結末を体験していただきたいです!



行列を見かけると、興味と一緒になんだか少し冷めた気持ちが湧きますよね。そこに焦点を当てるとは…さすが浅倉秋成先生です!
人間が潜在的に抱える破壊衝動を描く2作品
もし、駅のホームに足を踏み出したら。
もし、静かな教室で叫び声を上げたら。
もし、上司の顔にコーヒーをかけたら。
一歩踏み出したら終わってしまう——現実に不満を持っていなくても、そんな恐ろしいことをを考えてしまった経験ってありませんか?
人間の「良識」がストッパーになっている、一種の破壊衝動のようなものかもしれません。
こうした「良識がある限り踏み出すことのできない何か」を題材として描かれた作品が、『花嫁が戻らない』と『ファーストが裏切った』の2作です。
この2作は日常の些細なきっかけから分岐していく物語であるため、他の作品と比較すると「起きないとは限らない感」が非常に高く、それが絶妙な怖さを振り撒いています。
人間の抱える昏い感情が膨張していく様子に、酔いしれてください!



私は飲み会の途中、上司の顔にお酒をかけたらクビになるかな?——なんてことを想像してしまった経験がありますね(怖)
グッときた場面や表現
恐ろしいのに怖くない、奇妙な作品の数々
ブラックなユーモアに富んだ上質な作品を収録した本作ですが、設定の怖さとは裏腹に、読んでいて「怖い」という感情を感じることはほとんどありませんでした。
『ほんとにあった怖い話』ではなく、『世にも奇妙な物語』的な怖さ、といえば分かりやすいかもしれません。
たとえば、『そうだ、デスゲームを作ろう』という作品では、嫌がらせを繰り返してくる取引先の男性を殺そうとするサラリーマン・花籠徳文(はなかご のりふみ)のデスゲーム作りを描く物語。
花籠は山奥にぽつりと佇む格安のコテージを購入し、「モノタロウ」「Amazon」「ニトリ」などを活用しながらデスゲーム部屋の作成に励みます。いわばデスゲームのDIYです。
笑ってしまうような展開ではありつつも、辛抱強く作業を続けた末にデスゲーム部屋を完成させた花籠。
このように本作に収録される短編は、いずれも一見現実味のない物語に見えて、私たちのいる世界でも十分に起こりうる事件であることが窺えます。
良識の電源を切って日常から一歩踏み出せば、狂気を孕んだ世界がすぐそこにあることを示唆しているようで、背筋をぞわりとさせてくれるのです。
一度は抱いたことのある感情の、見事な言語化
「被害妄想」や「破滅願望」といった人間が一度は抱いたことのある感情を、見事に言語化しているのも本作のポイント。
浅倉秋成先生は『六人の嘘つきな大学生』や『教室が、ひとりになるまで』など、エンタメ性に富んだ作品を数々生み出している作家さんです。
しかし、作品の面白さもさることながら、人間の深層心理を鮮やかに暴き、読者の心にチクリと針を差し込むような描写があるのが、本質に思えるのです。
おわりに
浅倉秋成先生は本当に面白い作品を出し続けますね。
エンタメに富んだ物語の中に、読者を穿つ一撃が隠されている。まるで薔薇の花のような物語の魅力に、私たちは抗えないのです……。
巷では「伏線の狙撃手」とも呼ばれる浅倉先生。次はどんな物語を見せてくれるのか、今から楽しみで仕方ありません。
それでは今回はこの辺りでお暇といたします。
ご一読いただき、ありがとうございました。